4月も半分が過ぎました。新生活が始まった方はなかなか地に足がつかない世の中ですがいかがでしょうか。希望に満ちかあふれている方もいるし、悔しさが残っている方もいることは過去の私の経験からもよくわかっています。辛い時はどんどん辛いと声を出していいと思います。
「人間万事塞翁が馬」です。本当に何がおこるのかわからないのが人生です。誰が2020年に世界規模でコロナウイルスが流行するなんて予想していたでしょう。サッカー日本代表の長友選手は2018年Wカップベルギー戦後に「ピンチは最大のチャンス、裏を返せばチャンスは最大のピンチ」と言われていました。私も気持ちを新たに頑張っていきます。
今回のテーマ、研修医2年目の4月といえばそろそろ3年目以降どのように働ければいいのと悩む時だと思います。色々な科の先生から勧誘をうけるし、断りづらいし、将来のビジョンが明確に見えないし苦労しますよね。
1つ言えることはどの道を選んだとしても、自分がやりたいことを少しでもできている人は後悔はしていなさそうということです。
逆に言うと、自分がやりたいことを少したりともできない環境で、時間的拘束が長く、給料も満足いくほどもらえない場合は、医師4、5年目で転科を検討したり、違う病院を探し始めたりしています。以下数人の知り合いの同世代Drの例を一部改変してあげます。
①研修先 関東の大学病院→関東の大学病院の消化器内科Dr
3年目から医局の派遣先である地域の病院で内視鏡の修行をしつつ一般内科の研鑽を積む。今年の4月から5年目で大学の医局に復帰。3-4年は市中病院であり、給料は月100万程度、5年目から大学病病院に戻ると少しだけ給料がへるかもとのこと。最近資産運用に興味がでてYoutubeを中心に勉強中。今までのところ充実した医師生活が送れている模様。
②研修先 都内市中病院→都内大学の皮膚科に入局
学生時代は成績優秀で都内の人気病院で研修開始。2年間の研修でQOLの高い科が自分には向いていることを自覚した。現在は都内の大学病院医局に入局する傍ら都内クリニックでの外来バイトを週4回ほど行い、4年目の後半には都内タワーマンションに住む。年収2000万も間近とか、、ブランド品を身につけ颯爽と職場に現れる。
③研修先 地方出身大学の大学病院→入局は都内の大学病院小児科
結婚を期に都内の小児科に入局するも医局での仕事に満足できず、5年目の途中から地元の大学病院に戻ることを決意。都内での給料から半分くらいに下がることが心配だが、それでも地元で働きたいとのこと。最近やっと医局長から医局を辞める許可がおり、夏休み頃には九州に地元に戻ることが決定した。
上記のように医師という職業は数年先の未来は正直見えないのです。特に若手のうちは顕著だと思います。
3年目、いろいろな選択肢が目の前に広がっており、眠れないほど悩む人もいます。一つ言えることは、医師免許さえあれば自分に合ってないと思えばいくらでも修正は可能です。
① ハラスメントをする上司がいないか
② 修行という名目で理不尽な労働を強いられてないか
③ 自分のやりたいことを少しでもできる環境なのか
この3点は必ず確認してください。日テレの入社式でニノも言っていましたね。『理不尽なことで怒る上司は大した上司じゃないから』と。
サッカーや野球がなかなか開始のめどがたちませんね。早く球場で野球を見ながらビールが飲みたいですね。 Dr. F
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